医療と健康

医者にとって年寄りは大事な「飯の種」

『医者にとって年寄りは大事な「飯の種」』、なんか冒頭から失礼な表現をすいません。これは「大往生したけりゃ医療にかかわるな」(自然死のすすめ)の著者で、医師であり老人ホーム診療所所長の中村仁一さんの発言です。1940年生まれのベテラン医師です。中村仁一さんは、生まれたものが成長し、古くなってあちこち痛んでくるのは、自然の流れだ、だから「老い」は自然の過程で、特別なことでも異常なことでもないと言われます。年寄りである以上は悪いところがあるのは当たり前で、老いと病気は違うと説明されています。

医者にとって年寄りは大事な「飯の種」

ほとんどの年配者は「老い」を「病」と勘違いしていると言われます。「病」には回復の可能性がありますが、「老い」は一方通行で、その先は「死」が待ち構えています。「老い」の場合、それをある程度認めながら、上手く生きていけば素晴らしい人生をおくれると言われています。自分の調子が悪くなったところを「老い」と認め、上手に折り合いをつけて、お付き合いしていく生き方。そして中村さんは、『年寄りの不具合は、すべてが老化の原因か、老化がらみです。今さら、医者にかかって薬を飲んでみたところで、若返らせることは不可能です。根本的には、どうなるものでもありません。しかし、治りたい一心で治そうと思ってやって来た医者のところで「年のせい」などというと、それは、患者にとっては許せません。もっとも、医療側も年寄りは大事な「飯の種」ですから、のど元まで出かかった言葉でもぐっと呑み込みます。そして、さらに老化にもっともらしい病名をつけ、発達した医療に頼れば何とかなるようにあおり、期待を持たせます。下手に「年をとればこんなもの」と覚られるようなものなら、病院は潰れ、開業医は夜逃げを余儀なくされ、医療関係者の失業者が町にあふれます。民間病院が立派に建て替えられるのも、「お年寄りさま」のお陰です。しかし、よく考えてみてください。テレビや冷蔵庫は15年ももたないでしょう。ところが、人間は60年も70年もそれ以上ももつんです。これは凄いことだと思いませんか?だから、「年をとれば、どこか具合の悪いのが正常」なんです。万一、年寄りのくせに、どこもどうもないなら、それはよほど異常というべきでしょう。

医者にとって年寄りは大事な「飯の種」

どうでしょうか?
病院関係の人から、このような暴露的なお話はなかなか聞けません。ましてや現役医師からの提言ですから、聞き耳を立てたいですね。そして中村さんは続いて『年をとればどこか故障がでるのは、当たり前です。ですから、繁殖を終えて生きものとして賞味期限がきれたわが身を顧みず、むやみに「検診」や「人間ドック」を受けて、病気探しをしてはいけません。医者の餌食になるだけです。「メタボ検診」も同様です。年寄りが、今さら腹回りを気にしてどうしようというのですか?』ともアドバイスされています。どうも検診を受けたばかりに大変な思いをした人を大勢、見てこられたそうです。

医者にとって年寄りは大事な「飯の種」

引き続き中村さんは『がんは老化です。高齢化が進めば進むほど、がんで死ぬ人間が増えるのは当たり前です。繁殖を終えて、生きものとしての賞味期限が切れた「還り」の途上にある年寄りには、もはや、早すぎる死というものは存在しません。これまで、70歳前後の何人もの有名人が、よせばいいのに、健康であることの証明欲しさに「人間ドック」を受けてがんが見つかり、目一杯の血みどろの闘いを挑んだ末、見事に玉砕し果てています。自覚症状はなかったでしょうから、「人間ドック」など受けさえしなければ、まだ一線で活躍していただろうにと思うと、残念のひとことに尽きます。よしんば、早期がんといわれて切り取られた場合でも、その後は、一定期間ごとに苦痛を伴う検査を繰り返さなければなりません。また、無事に5年経った後でも、生きている間はずっと「再発」に怯え続けなければなりません。というのも、ちょっとでも身体に異変を生じれば、ひょっとしたらの思いが脳裏をよぎるはずですからです。この心理的ストレスは相当なものと思われます。』

医者にとって年寄りは大事な「飯の種」

中村さんは、生きている間、こんなことがずっと続くわけですから、これを「早期発見の不幸」と言われています。
年配の人で「がん検診」や「人間ドック」に近寄らなかった場合はどうでしょうか?がんは痛むといいますが、それならどうしてもっと早く見つからないのでしょうか?不思議ではないでしょうか?症状のないまま、ふつうの生活をしていたら食が細くなり、痩せてきて顔色も悪いので、周囲が心配して無理に検査を受けさせたら、手遅れのがんだったケースはよくあります。中村さんが言われるには、 がんで痛みがでるのは、放射線を浴びせたり、“猛毒”の抗がん剤で中途半端に痛めつけたりするせいだと言われます。話を戻して、手遅れの発見は不幸なのか?とも中村さんは言われます。
医者にとって年寄りは大事な「飯の種」

『手遅れが不幸?考えてみてください。それまで何の屈託もなく、自由に充実した毎日が送れていたわけです。痛みがでなければ、今後も体力が落ちて自由に動かすのが難しくなるまで、普通に生活すればいいのです。長生きも結構ですが、ただ長生きすればいいというものでもないでしょう。どういう状態で生きるかが重要だと思うのです。私自身はボケたり、いつ死ぬかわからないままの寝たきりや植物状態で生かされているのは願い下げです。繁殖を終えるまで生かしてもらったのですから、もう充分ではないですか?人生の幕引きを思い通りにできるかもしれない「がん死」は最高だと思います。これを、「手遅れの幸せ」と言います』
医者にとって年寄りは大事な「飯の種」

どうでしたか?すごく意味深い内容だったと思います。自分も日ごろから中村さんと同じような考え方を持っていたので嬉しく思いました。自分も会社を30歳でやめてから、健康診断を受けたことがありません。自分の身体は自分が一番知っているし、死ぬ時は死ぬと思っていました。もし何かあってもジタバタはしたくないという考えです。ちなみに愛する妻(2歳年下)も20歳前半から一度も健康診断らしきものを受けたことはありません。皆さんは今回の内容を読まれてどう思いましたか?

お勧めの本
「大往生したけりゃ医療にかかわるな」(幻冬舎新書)中村仁一著

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