読まれた人はいるかも知れませんが、昔の中国の故事に、畑を耕作させるために一頭の年老いた馬を飼っていたひとりの農夫の話があります。
ある日、馬が逃げてしまいます。近所の人たちは彼の不運に同情するが、彼はこう答えます。「不運か、幸運か、誰が知ろう?」
一週間すると、逃げた馬が野生の馬の群れを引き連れて戻ってきます。今度は隣の人たちは彼の幸運を祝福します。すると彼はまた答えます。「不運か、幸運か、誰が知ろう?」
彼の息子が一頭の野生馬を飼い馴らそうとして、落馬し、脚の骨を骨折してしまいます。誰もがそれを不運と考えます。しかし、その農民はまたもや、「不運か、幸運か、誰が知ろう?」と答えます。
数週間後、軍隊が村にやってきて、五体満足な若者を全員徴兵します。農民の息子は脚を折っていたために、徴兵を免れます。不幸か、幸運か、誰が知ろう?
物事をあるがままに受け入れる生き方を基本にしていきましょう。起こる結果は分からないのですから、無駄なエネルギー、神経を使わないほうが得策です。あれこれ悩み過ぎて精神的におかしくなったり、病気になったりする場合も多くあります。実は、自分たちに起こってくることは、長い目で見て必ず自分にとっていいことしか起こりません。悪いことは決して起こらないのです。宇宙は私たちを絶えず良い方向へ向かうよう導いてくれています。起こることを目先で判断して、これは不幸、これは幸福と判断しないで生きていきましょう。
宇宙は私たちの生みの親、根源です。親、根源が子供に対して悪くなることをするはずはありません。これらが理解できると今からの生き方が非常に楽になってきます。後は心の底から宇宙を信じるだけです。私たちの身の回りに起こるあらゆることが、自分の人生にとってなんらかの価値をもっているものです。生き方を自然に任せて、毎日を自分の正直な気持ちに従い、するべきことは一生懸命して、判断は宇宙に委ねれば、必ずや最高の幸せに近づけると思います。そして毎日がこれらの技術を身につける機会にあふれています。朝の通勤で、どうしても乗車しなければ遅刻になってしまう電車に乗り遅れた…。これもきっと意味があります。どうしても合格したい大学に滑った…。これもやはり意味があります。それらが起こったことを、不運に思わず、平静に受け止めてみましょう。そして、それが「自分にとって良かったんだ!」と思えるようになりましょう。それは本当に事実なんですから。物事をありのままに受け入れていくと、本当の自分の幸福に早く到達できる可能性がでてきます。