スピリチュアリティ

成仏とは?

人はいつかは死にます。知り合いの死は悲しいものです。それが家族となるとなおさらです。そのときは思いっきり悲しむのはいいと思います。取り乱すこともあるでしょう。これは当たり前だと思います。
しかし、いつまでもその状態ではよくありません。亡くなった人への執着。いつまでも「何故、死んだの?」「悲しすぎる」「帰ってきて」「あなたがいないと生きていけない」などという思いはよくありません。本人を引きとめることになります。
亡くなった人には次があります。亡くなった人は次の人生でまた違う学びをしなければなりません。あなたがその邪魔をしてはなりません。私たちが亡くなった人の足を引っ張ることになります。その状態を「成仏できてない」などと言います。「成仏」とは亡くなった人が現世に未練がなくなり、次の人生に進むためにあの世に還えることを言います。
また、亡くなった本人自身があまりにも現世に執着して成仏できてない場合もあるそうです。現世に未練があったり、執着したりする場合は次の人生に行きにくいとも聞きました。そのために本人を送り出す儀式として、「四十九日」、「一周忌」、「三回忌」などが存在するそうです。残った人たちが亡くなった人に「成仏してください」という思いで本人を次の人生へと進むようにします。

私たちの死とは本当はないことに気づいてください。本当は私たちは死なない存在です。死は単なる肉体からの卒業です。肉体から離れた人はまた違う人生があるだけだと知ってください。
確かにこの人生をもう一緒に過ごせないのは悲しいことです。しかし、長い人生(死んでは生まれる輪廻転生の人生)では、またその人と一緒に過ごします。家族、知人は自分の人生に縁があり、また別の人生でも役柄を変えて出会うようです。現世は子供でも、来世はパートナーということもありえます。輪廻転生を知れば、死を前向きに捉えることができます。亡くなった人を邪魔したりしなくなります。亡くなった人を成仏させようとします。そして亡くなった人の次の人生がまた素晴らしいものになるよう祈れます。
それからいうと、ただ生きてくれていればいいという延命治療もどうでしょうか?チューブでつないで、ただ食べ物を胃に流し込んで、一分、一秒、長生きさせることが大切という考え方もどうかと思います。本人は新しい人生で学びたいかもしれません。
 
皆さんはどう思われますか?
死に関しては普段あまり考えることはないと思います。知人、身内などの死を目前にすると、身近なものに感じられ死について考えます。いつかは必ず自分にも訪れる死です。この記事を読んでいただいたのも何かのご縁です。この機会に「死」について考えてみてください。

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